思いを馳せる

1日物思いに浸っていたいそんな日もあるだろう。

そんな崇高なこと考えてないだろってツッコまれても、まあそうだねと返せばいい。

いちいち地球の未来と、過去の栄光とか、そんなものを考える必要はない。

その思考に価値なんてものはなくて、ただ脳内で時間を過ごせればいい。

うまい棒の一番美味しい味選手権でも、次買う本の予算を考えるそういうものでいいんだ。

自分と向き合うそういう時間自体が崇高であるのだ。

人は老いるし、新しく生まれたサービスも、時の流れとともに衰退していく。

いつでも今が最高潮である。

脳みそもできるだけ新品の内にいろいろ想像した方がいい。

そうなると、自由度の高い子どもの脳に暗記教育だけを詰め込むのはいかがなものなのだろう。

生きていく上での教養として、義務教育を与えるのは許容するとして、ではその開始時期を早めてしまう行為については疑問がある。

空っぽの状態で、自然の状態で、世界と対峙し五感のあらゆる感覚を駆使して想像を繰り返したした子どものほうが実は思考力がついていたりするのではないか。

なんとなくのイメージとして、幼少期に貧乏であった子ども、放ったらかしで育てられた子どものほうが、将来優秀なサービスを生み出しているような気がする。

ど田舎育ちであったり、親が離婚して家にほとんどいなかったり。

なにもないから頭の中で想像し、自然と対話する。

そんな環境で動物は育つ。

もちろん人間もそうであるはずだ。

だから今日も外に出て、自然を観察しながら、頭の中をかき混ぜよう。

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