自分探しと灯台下暗し

「自分探し」

よく耳にするこの言葉。

世間一般的には、悩み苦心し、自分に自信がない、目標がない人間が生きる目的を探すための物理的及び精神的な旅をあらわすものだ。

概ね長い旅路で何かを見つけるというより、時間の経過とともに自分の歴史を反省することで足元が固まりたくましい人間に成長するものだと僕は理解している。

一部旅の途中で新たな目標となる仕事や人物に出会い、そちらの道を極めるケースもあるだろうが。

結果的に見つかれば幸いなことだが、基本的にそんなものはそう簡単に見つかるものではないだろう。

「何故見つけにくいのだろうか?」

先程ふと頭にひらめきが。

『新しいもの』を探すから見つからないのではないか。

感覚的には表現が難しいが、『かつてできないと思って寸分の迷いもなく放棄していたもの』が実は探しものであるケースもあるかもしれないと思ったのだ。

絵が描けない、文章がかけない、運動ができない等。

自我が芽生え、小学生レベルから既に自分と誰かを比較し、己の限界を察することができる。

そうなるともう未来のことなど考えず、不得手は闇に葬ってしまう。

完全に心の箱にしまい込んでしまうともう取り出せない。

いつか訪れる自分探しの旅であろうと候補にすら上がらない。

新しいものに出会っていないからやりたいことが見つからないという現状もあるかもしれないが、過去にあっさり心の箱にしまい込んでしまったなにかがずっと蓋を開けてくれるのを待っているかもしれない。

嫌いだったもの、苦手だったものが、無意識のうちに補完されいつの間にか他人よりも秀でてしまっている可能性もある。

はるか先にあると信じていたものが、実はあっさりと足元に転がっているという事実。

旅に出る前に、苦手だったことを箱から取り出して一通り経験してみてはどうだろうか。

かくいう僕も最近は読書沼に嵌っている。

それはずっと僕の心の箱にいたのだ。

これが私の未来に影響を与えるかどうかは現時点ではまだわからない。

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