親切な動画編集と感情

Youtubeが時間を奪う。

僕が起きている時間のかなりの割合をヤツは回収していきます。

概ね満足しているので文句はないんだが、見ていて思うことがある。

それは編集に手間かけすぎだという問題。

主に

・テロップ

・ビジュアルエフェクト

・サウンドエフェクト

の3つは特にしつこい。

テロップに関しては聞いてればわかることをいちいち全部文字起こしされている。

今は編集ソフトのPremierで全部自動的に文字起こしまでやってくれるらしい。

そのくらいスタンダードに『映像には文字を入れて然るべき』という文化が根づいているんですね。

次にビジュアルエフェクト。

僕はただの講演の映像を見ていることが多い、つまりはほぼラジオ代わりに聞いているのだが、これにももちろん元の映像にはテロップが付与されているし、加えて話している内容に関連するようなイメージや映像が横にふわふわと表示されている。

そしてサウンドエフェクト。

テロップが出るたびにピコンピコンと音を立て、注意を引き付けてくる。

僕はこの3つが嫌いだ。

特に後者の2つ。

テレビ番組を観ていてもそうなのだが、視聴者である僕に考えるゆとりを与えてほしいのだ。

それみてどう思ったか、の感覚は自分自身にさせてほしいという願望がある。

タイミングもそうだ。

気づかないなら気づかないでそれでいいじゃない。

ここを観てほしいと思っても、それを押し付けないでほしいのだ。

逆に面白いコメント言ってるなと思っても、全然テロップにもならずに通り過ぎているときもある。

なんなのだろうこれは。

結果視聴しているすべての人間の感覚や感情、思考が平均化してしまうようなそんな恐怖すらある。

平均化ならまだしもあらぬ方向にコントロールされているのかもしれない。

これは日本人だけではなく、全世界で起こっている現象だろう。

現実問題として、僕はそれらが嫌いだが、制作する側としては視聴率を高めるためには手を加えなければいけないほぼ義務化された作法になっていることだろう。

「ここがこう面白いんですよ」と注目させて笑い声を足してさり気なく感情を誘導する。

笑いならまだいい、悲しみ、更には怒りも全部仕掛けてくる。

そうなるともう自分のコントロールを超え、目の前の人があくびをしているとこちらも釣られるが如く、感情が鏡写しののように支配されてしまう。

考えることもなく、ただのインプットマシーンと化して映像を眺めている。

ふとした瞬間にこれらがとても怖くなる。

だから私は最近テキストベースの情報を優先するようになっているのだが、コストの問題からそれも奪われ始めている。

それを観てどう思ったか、どういう学びがあったかは視聴者に完全に任せていいと思うのだ。

僕は絵本作家の荒井良二さんが大好きなのだが、彼の絵本には教訓がない。

日常でもない不思議な世界が広がっている。

ただ、読後に感覚として、「ああいいな」「すてきだったな」「よくわからないけど」という答えが統一されてない感覚が芽生える。

最後の「よくわからないけど」が実は大切なんだと思う。

『プレゼンはわかりやすく』という現実の切ない指導をすべての作品に踏襲してはいけないんだろうな。

全員がわかんなくったっていいんだよ。

伝わる人にだけ伝わればいいんだよ。

本当に万人に見てほしいのその動画?

ターゲットは本当はいて、こんなに親切丁寧な編集にしなくてもその人達はわかってくれるんじゃないの?と言いたい。

 

生きていくって考えることでしょ。

難しいことだけじゃない、好き、嫌い、野簡単な答えでさえ、考える余地を奪わないでほしい。

クリエイターの信念は嫌というほど入れ込んでいいが、感情操作スイッチだけはイジらないでいただきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

トップに戻る