誰かのために生きる

いまいち本気になれない、そういう瞬間は誰にでもある。

失敗したときの絶望を受け止める自信がないからだ。

自分の人生にも責任を持たなければいけない、償わなければいけない、そういう心理もはたらくだろう。

一般的に考えても、一生懸命取り組んで結果を出せなかった場合に、それをどうやって取り返せると思うのか。

一生懸命取り組んだ先にあるものは実はない。

もうそれ以上の結果なんて出ることはないからだ。

若さも金も使い切ってしまった後に何が残るというのか。

基本的にはそこで人生のゲームオーバーだ。

「死にたくなるだろうな」という予測だけは明確に意識できる。

だから、死を避けるために、取り組まないという無意識上の決断が働くのかもしれない。

危機回避能力に長けた人間だ、その程度は朝飯前なのである。

 

そう思うと、死ぬ気で何かをするという根性のある人間にしか夢を達成するための努力ができないことになる。

一人ですべて責任を持つ、自分の人生を賭して戦う強さ。

そんな人間ほぼいないだろう。

だから夢を叶えることができる人間はすくないのだ。

だからといって夢を叶えた全ての人間がそうかといえば僕は違うと思う。

自分の将来に責任は持てないが、他人の将来には責任が持てる人間がいる。

もし失敗しても私が支えるからという奉仕の魂をもつ人間だ。

そこまで言わなくても、自分の悩みは解決できないが、他人の悩みになるととたんに積極的になる人間くらいはいるだろう。

あなたもそうかもしれない。

とりあえず自分のできそうなサポートは全力でやってあげる。

特に感謝も対価も求めずに。

そして相手に解決の兆しが見えると喜べる。

もしうまくいかないとしても、自分にデメリットがあるわけでもないし、実際に少しは解決には近づいていることのほうが多いだろう。

つまりは、一人で解決できない責任重大な問題も、他人が無責任に解決してくれることがあるんだ。

僕も、人の相談に乗るのが好きだし、できることはやってあげようと思う。

そこに報酬はいらないし、喜んでもらえたらそれだけでいい。

深刻な悩みに失礼だが、僕にとってはそれ知恵の輪を解くようなものであり、言ってみれば暇つぶしのようなものだ。

馬鹿にしているわけではなく、他人だと解決策が容易に思い浮かんでしまうものだ。

人と人との関係性を排除した場合、ただのつまらない事象の問題であることが多い。

人間関係が関連してくると途端に難しくなる。

だから悩んだときは他人に相談するのが一番手っ取り早いのだ。

ときには手出ししてもらうことも大切。

現代は一人で引きこもって問題に取り組むことが多くなりがちだ。

だからこそ、問題解決に手間取り、冒頭のように手を出せず、解決できず、時には人生に絶望してしまう。

自分のことは全部自分で責任をもつのではなく、ときには他人にこっそり押し付けて運んでもらうのも悪くない。

あまり重い荷物を背負わせてはいけない、と言うか押し付けるのはNGだ。

話をすれば、勝手にできそうなことだけやってくれるものだから、過度の期待はしてはいけない。

しかし、一番大きな荷物だけをあっさり片付けてくれた、そんなこともきっとある。

 

要するに誰かとともに生きると人生はやや簡易になる。

それは家族であったり恋人であったり友人であったり。

一部の外国人は、一人暮らしをしても毎日親に電話をするそうだ。

日本人にはほぼない現象だろう。

逆に家族とのつながりを排除する傾向もある。

海外の目まぐるしいサービスの拡大は人の繋がりによってもたらされているのかもしれない。

できるだけ他人に相談し、そして相談に乗ってあげよう。

夢はきっと叶う。

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